お笑いタレント出川哲朗がNHKドキュメンタリー「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演した。「出川哲朗という道~リアクション芸人・出川哲朗~」と題し、100日間に及ぶ密着映像が公開された。番組で出川は、数々のバラエティー番組で体を張ってきたリアクション芸のこだわりを「リアルガチ」と表現。普段自身を「リアルガチのタレント」と呼ぶことについて「あれはあながち冗談じゃない」と語った。ダチョウ倶楽部から脈々と続くリアクション芸「熱湯風呂」で実際に高温の風呂に入ることに触れ、「ボクは本当に熱い方がいいんですよ」と出川。「熱くなくてもリアクションはできる。でもこっちがやろうとしたリアクション以上の予想しないハプニングが起きて、それがドカンと(笑い)になることがあるから、ボクはリアルガチが好き」と「プロフェッショナル」の哲学を語った。
Contents
略歴
俳優としてキャリアをスタートさせ、1990年代に入るとバラエティ番組「ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA.」(日本テレビ系)出演をきっかけにタレント活動を本格化。「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」(日本テレビ系)をはじめとするさまざまな番組で体を張り、リアクション芸人としてのポジションを確立する。2017年には自身初となる冠レギュラー番組「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」(テレビ東京)がスタート。以降もさまざまな番組やCMに出演している。
出川イングリッシュ
日本テレビ系で毎週放送されているTV番組の「世界の果てまでイッテQ」(出演者は、内村光良さん、NEWS手越祐也さん、お笑いタレントの宮川大輔さんやお笑いトリオ森三中さん、イモトアヤコさん、いとうあさこさんなどです。)
そんな人気バラエティ番組のコーナーの中で、ほとんど英語が話せない出川哲郎さんが繰り広げる「出川イングリッシュ」が学校の教材として使われるなど、SNSのツイートを中心に大きな話題を呼んでいます。
また外国人にもおじけづかない出川さんの発想力と行動力には感服します。
そもそも出川イングリッシュとは、その名前から想像できるようにお笑い芸人出川哲郎さんが話すユーモアあふれる独自の英語のことです。
海外ロケで現地の人とコミュニケーションを取りながら、さまざまなミッションをクリアする
「はじめてのおつかい」
という人気コーナー。
出川さんはほとんど英語が話せず、繰り出される英語は、出川さんが知っているボキャブラリーのみを使い、知っている単語を並べるだけの文法を無視した一見ハチャメチャなものです。
しかし、出川さんの英会話スタイルは「文法なんかいらない。ハートで話す」というもので、ジェスチャーを駆使し試行錯誤しながら、持ち前の行動力とコミュニケーション能力で見事にミッションをクリアしていきます。
体当たりでチャレンジするところがみていて気持ち良いくらいです。
YouTubeなどで「イッテQ」や「出川イングリッシュ」と検索すれば動画がたくさん見つかり、出川イングリッシュがいかに番組人気コーナーだということが伺えます。
Amazonなどでは出川さんの破壊力抜群の語録がつまった「イッテQ!エブリディ出川語録」を購入することもできます。
また、Yモバイルのコマーシャルに出てくる英語を話す猫の「ニャンシー社長」、この猫社長に自己流の英語で「ふてニャンがまぐち」をプレゼンするのが出川さんです。
なんでも、英語のセリフはアドリブだったそうです。
出川イングリッシュエピソード1 (ニューヨーク編)
さて、出川イングリッシュが初めて繰り出された記念すべき初舞台はニューヨークです。
「国際連合本部で限定お土産を買う」というミッションでは、国連(United Nations)のことを
「ワールドホームセンター(世界の家の中心地)」
と訳し、現地の人に場所を尋ねますがもちろんまったく通じません。
その後言い方を変え、
「カントリーメニメニ(many many)。
ドゥユーノーメニー?」
で聞きますがこれも通じなかったので、最終手段として帰国子女の相棒・河北麻友子さんに正しい単語を教えてもらいます。
出川さんは「ユナイテッドティステイション」
と言い間違えますが、現地の人は察してくれ場所を教え、地下鉄で行くといいよと教えてくれます。出川さんはさらに
「ニヤステイションネイムセイセイセイ!」
これが通じて見事国連に到着し、ミッションをクリアします。
出川イングリッシュエピソード2 (ロンドン編)
第2弾ロンドンでの初ミッションは「大英博物館をリポートし、大人気のアヒルを購入せよ」というもの。大英博物館は英語でThe British Museumですが、出川さんは
「ドゥーユーノーイングランドオールドアウトレットセンター?」
と訳して質問します。
博物館には古いものがあることから、それが中古品、つまりアウトレットに変換したようです。
それでは当然通じなかったので、今度は
「イングランドヒストリーホール」
と質問し、ミュージアムという単語をゲットします。
その後お土産を買うためにアヒルをキーワードに出そうとしますが、アヒルの単語が分からず、
「ドゥーユーノー ガーガーバード?」と聞き、
「ガーガーキチン」
「ミッキーマウスはマウス、
ドナルドダックはホワッツ?」
と次々に聞くなどして、アヒルがダックだと気づき、お土産売り場に到着できました。
出川イングリッシュエピソード3 (サンフランシスコ編)
サンフランシスコの名所である刑務所をリポート!」
というミッションでは、脱獄不可能な監獄が有名なアルカトラズ島がゴールです。
刑務所の単語が分からない出川さんは
「ドゥーユーノウウォンテッドハウス?(指名手配犯の家を知っていますか?)」
「メニメニバッドマンスリーピングハウス(多くの悪い人が眠るところ)」
などと質問。
現地の人が「アルカトラズ?」
と察してくれたのも、「会うか?テラス」
などと間違って覚えてしまいますが、なんとこれが通じて、一度もアルカトラズと正確に言わずにミッションをクリアします。
「超人気のお店で買い物。お店の名前を日本語に訳すと『たんぽぽ』」
のミッションでは、なかなかタンポポの単語が出てこず苦戦します。
しかし最終手段にタンポポを吹き飛ばすジェスチャーをしながら「プリティイエローフラワー」
と聞いて、タンポポの意味である「Dandelion」
を引き出すのに成功しました。
出川イングリッシュエピソード4 (ワシントンD.C.編)
国立航空宇宙博物館に行って宇宙食を食べる」
というミッションでは、宇宙をearthと勘違いし、
「ドゥユーノーアースフード?」
と聞きますが通じません。
earthが違うのではと思い、違う角度から攻めようと宇宙人E.T.を持ち出します。
「ドゥーユーノー E.T.?」
と切り出しながら映画E.T.のテーマソングを歌い、
「ユーヒューマン、マイヒューマン(私は人間)。E.T.はホワッツマン?」と質問。
エイリアンを聞き出すと、
「エイリアンステイホウェア?(エイリアンはどこにいる?)」と聞き、「アウトオブスペース」
と宇宙がスペースだと引き出します。
そこで、「ドゥーユーノースペースフード?」
と聞くことができ、見事場所を突き止めクリアします。
関連する単語から芋づる式に正解にたどり着くのも一つの手ですね。
勉強になります。
出川イングリッシュエピソード5 (ニューヨーク編)
再びニューヨークでのミッション、当然二回目ということで英語のハードルはあがります。
今回のミッションは「ニューヨークにある空母をリポート」という企画です。
日本人にとって空母は知っているけど、そんなに頻繁に使う言葉ではないし、英語で?ってなると分からない人がほとんどだと思います。
空母とは英語で
「Aircraft carrier(エアクラフト・キャリアー)」
です。
漢字を読むと「空の母」になります。
出川さんはそのまま、空=「スカイ」母=「ママ」
結果、「Do you know スカイママ?」
といった感じで謎の単語で聞き込みをするのです。
当然、簡単にはいかずゴールまで難航を極めるのですが、諦めずジェスチャーを使い奇跡的にAircraft carrierと言った単語を聞き出し、carrier部分を「キャビア」と聞こえながらも
「イントレピッド海上航空宇宙博物館」
に到着する事が出来ました。
まだまだありますので、興味のある方は「出川イングリッシュ」で検索してみて下さい。
出川イングリッシュから学べる事
英語はどれだけ学んでも実際に話す機会がたくさんなければ身に付きません。
英語が話せないと「通じないかもしれない」と話しかけるのが億劫になってしまうかもしれませんが、私たちがこうして日本語を話せるようになったのも、日常的に話す機会があるからです。
海外の人たちとの会話は片言のコミュニケーション能力でもなんとかなるということです。
しかしながら、海外旅行でこれだけ時間をかけていたら、目的地までたどり着くのに疲れてしまいます。
今まで日本を訪れた外国の方に、片言の日本語で道を聞かれたことはありませんか?
多少文法や単語に間違いがあっても、会話はニュアンスで意味が通じることが多いものです。
またアイコンタクトをしっかりとって大きな声で会話しているという出川さんの姿勢にも学べる点があります。
相手の目をきちんと見て一生懸命話すことで、相手も理解しようと耳を傾けてくれています。
英語を身に着けるにも、気後れせずにアイコンタクトをしっかりしてどんどん話しかけることが大切なのです。
出川さんの出川イングリッシュは、まさにコミュニケーション力をベースとした英会話のよい例と言えるでしょう。
充電させてもらえませんか?
『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』は、2017年4月15日より放送されているテレビ東京製作の旅バラエティ番組である。出川哲朗の冠番組でもある。
電動バイクでニッポンを縦断する人情すがり旅!」というキャッチフレーズを掲げながら、出川・ゲスト・ディレクターが電動バイクに乗りながら目的地に向かうロケ番組。飲食や観光などの目的に応じて、さまざまなスポットへの停車や宿泊をはさみながら、名所旧跡・パワースポット・温泉・神社仏閣などの景勝地を巡る。バッテリーで駆動する電動バイクを移動に用いる関係で、バッテリーの残量がなくなった場合に、充電できる場所を求めて上記の出演者が地元の住民や施設関係者などへ交渉することが最大の特徴である。
当番組のベースになったのは、テレビ東京系列の『ソコアゲ★ナイト』月曜枠で2014年8月に4週連続で放送された『充電させてもらえませんか?』で、同年12月から2017年1月には特別番組(第2弾 – 第7弾)として『土曜スペシャル』枠などで5回にわたって放送された。
2015年の年末に放送された第3弾で、テレビ東京の放送対象地域である関東地区での世帯平均視聴率が同時間帯の番組における全局1位を記録したことなどを背景に、ゴールデン帯における出川哲朗初の冠番組として2017年4月からレギュラー化。「日本全国縦断!47都道府県全制覇」を目標にしていた。
基本的に1時間番組として制作されているが、同時ネットではレギュラー放送の開始当初から、『土曜スペシャル』と交互に2時間半スペシャルとして放送することが多い。従って1時間番組として放送する場合、同時ネットでも各ルートごとに前後篇に分けている。テレビ東京系列以外の民放局や、一部の系列局では、放送枠に応じた再編集版を主に放送。
ただし、2019年以降はテレビ東京の系列局向けに、新春特別番組として正月三が日にもゴールデンタイムに同時ネットで放送されている。
2018年7月14日放送回(第36弾)では、関東地区の視聴率が(特別番組時代を含めても)歴代最高の13.2%(19:00 – 20:54の第2部)を記録。
2018年7月クールでも放送回の平均視聴率が2桁(10%台)に達したため、テレビ東京の小孫茂社長(当時)から高い評価を受けた。
2018年11月17日の第44弾では、放送日が「テレビ東京55周年”テレ東ぜんぶ見る大作戦WEEK」の期間中に設定されたことを踏まえて、海外(ヨーロッパ)ロケを始めて敢行。テレビ東京系列では、『出川哲朗の充電させてもらえませんか?ザ・ワールド!3時間半スペシャル』(当番組初の3時間半スペシャル版)として放送された。
2020年には、年頭から新型コロナウイルス感染症の流行が拡大している影響で、3月から10か月近くにわたって新規のロケを休止。4月25日放送回(再編集第1弾)からは主に、参加したゲストライダーと放送回や未公開映像を視聴しながらのトーク、出会った人たちのその後映像等を含む過去回の再編集版を放送した。その中で、2020年8月に神奈川県内で電動キックボードを使用したロケを実施。振り返りのトーク部分を加え、スピンオフ企画『出川哲朗のちょっと電動キックボードで』(第78弾)として10月17日に放送した。
11月には、感染拡大防止策を可能な限り施しながら静岡県内でロケを再開。その内容を2021年1月2日に、「新春3時間半スペシャル版」(第79弾)として放送した。
その後は、2021年10月30日放送回(再編集第31弾)まで新規ロケ版と再編集版を織り交ぜながら放送。2021年11月20日放送回(第89弾)から新撮による放送を再開した。
テレビ東京における2022年4月16日以降の放送分から、TVerのテレ東系リアルタイム配信でも視聴できるようになった。
2023年1月14日放送の『ついに宮城県で全国制覇!絶景の紅葉街道”金色の鳴子峡”から”日本三景松島”までズズーっと108キロ!きゃりーぱみゅぱみゅが初登場で飯尾も絶好調!ヤバいよヤバいよSP』で「47都道府県全制覇」した。
2023年2月25日放送の『祝!2023年2月4日にテレビ東京の「SDGsウイークエンド」キャンペーン企画の1つとして放送された『出川哲朗の充電させてもらえませんか?生放送でヤバいよ!3時間SP』では、別日に撮影した通常の充電旅を交えながら出川たちが実際に充電バイクで走行したり街の人と触れ合う様子を生放送(TVerではリアルタイム配信)した。
ゲストの中には残念ながら早くにこの世を去ってしまった上島竜兵さん他、9月中旬放送予定の回には5年ぶりに出演の明石家さんまさんをはじめ、大物ゲストも多数出演しています。
一度検索してみて下さい。
最後に‥
出川哲朗と言えば、ひと昔前までは「嫌われ芸人」の代表格だった。女性誌の「嫌いな男」「抱かれたくない男」ランキングでは常に上位をキープ。「低身長」「ダミ声」「不細工」と三拍子そろった当時の出川は、多くの女性に生理的嫌悪感を抱かれる対象になっていた。当時はテレビ出演のほとんどが、裸になったり泥にまみれたりする「ヨゴレ」の仕事だった。当時の出川は江頭2:50と肩を並べる「嫌われ芸人」だった。
だが、いつのまにか時代は変わった。出川はいまやお笑い界屈指の人気者となっている。リアクション芸人のレジェンドとして尊敬を集め、子供たちからも憧れの目で見られている。女性から「気持ち悪い」という声があがることもほとんどなくなってきた。
テレビ業界でも出川の評判は抜群にいい。数字を持っている出川はゴールデンタイムの番組にも引っ張りだこの大人気。最近では多数のCMにも出演している。1人のタレントの世間からのイメージが短期間のうちにここまで劇的に変わってしまうのは珍しいことだ。なぜこんな事態が起こったのだろうか‥
現在の出川人気を支えているのは、子供たちからの絶大な支持である。『世界の果てまでイッテQ!』を見て、体を張って未知の体験に挑む出川に勇気づけられている若者が大勢いる。そもそも中高生以下の世代の人間には、出川が嫌われているというイメージがない。だから、余分な偏見を持たず、彼の人柄の良さや勇敢さなど、良い部分を素直に受け入れることができる。
また、出川は2011~2014年に放送されていた『大!天才てれびくん』という子供番組にも出演していたことがある。この番組を見ていた子供とその親にとっては、出川は親しみを持たれる存在になっていた。
今の出川のイメージは、男性芸人というよりも、ふなっしーやくまモンのような「ゆるキャラ」に近い。ゆるキャラのような万人に愛されるマスコットキャラクターには「小さくて丸くて親しみやすい」という外見上の特徴がある。
出川も、テレビに出始めた頃はもっと痩せていたのだが、最近になってポッチャリしてきた。そのせいで男性的なイメージが薄れて、親しみやすい雰囲気を醸し出すようになってきた。子供番組で子供からの支持を得る一方で、『イッテQ!』というファミリー層にファンの多い番組で活躍したことで、出川の人気は揺るぎないものになった。
また、バラエティ番組などで芸人たちが自らの芸のことを真剣に話すような場面が増えてきたことの影響も見逃せない。例えば、人気番組『アメトーーク!』では、プロの芸人たちが普段どういうことを考えながらテレビに出ているのか、というのを率直に語るような企画がたびたび行われている。
こういった番組の中で、ダチョウ倶楽部や出川哲朗にスポットが当てられて、彼らのリアクション芸が芸としていかに優れているのか、ということが語られるようになった。
例えば、熱い風呂に入ってのたうち回る「熱湯風呂」1つ取っても、どういうリアクションをすれば笑いにつながるのかということに関しては、その道のプロにしか分からない秘密のノウハウが存在する。
ある番組で千原ジュニアが出川の偉大さを知った瞬間のことを語っていた。出川と共演したジュニアは、その場の流れで自分も熱湯風呂に入ることになった。
しかし、リアクション芸に慣れていないジュニアは、両手で浴槽の枠をつかんだ状態のまま、どうやって入ればいいのか分からず、固まってしまった。戸惑っていたジュニアに対して、出川が後ろから声をかけた。
「ジュニア、手が滑るから気をつけろ!」
それは、リアクション芸のプロからの優しいアドバイスだった。ジュニアは手を滑らせて浴槽に頭から落ちていき、その場は笑いに包まれた。リアクション芸には、それを面白く見せるためのプロの技術が隠されている。それを知り尽くしているのが、出川やダチョウ倶楽部などの一流のリアクション芸人なのだ。
こういった企画やエピソードを通して、「リアクションも立派な芸である」ということが世間にも認知されるようになり、リアクション芸が再評価される気運が高まっていった。そんな中で、リアクション一筋の出川のイメージも少しずつ変化していったのである。
現在の出川ブレークの要因の1つとして関係者がしばしば指摘するのが「事務所とマネージャーの献身的なサポート」である。タレントはマネージャーとの二人三脚で仕事を進めていくものだ。出川はマネージャーに全幅の信頼を寄せている。
実際、出川のマネージャーには細やかな心遣いがある。例えば、熱いものを食べるときには、本当に危険な温度ではないか事前にチェックしておいたりする。また、何があってもいいように、大量の替えのパンツを用意していたりもする。出川が万全の状態で仕事ができるように、あらゆる面にわたってサポートをしている。
ヨゴレ芸で有名になってしまったため、意外な感じがするかもしれないが、出川の素顔は家柄のいいお坊ちゃんである。1964年、神奈川県で出川哲朗は生まれた。実家は明治27年創業の海苔問屋。家にはお手伝いさんが5人常駐し、通学時にはベンツで送り迎えをされるなど、何不自由ない少年時代を送っていた。のちの出川がどんなに「ヨゴレ芸」をやっていても、どこかに品の良さが感じられるのは、この生い立ちに由来するのかもしれない。
ところが、高校生のときに事件が起こった。出川の父が先物取引で財産を失い、家業の海苔屋が倒産寸前にまで追い込まれたのだ。出川は家計を立て直すために高校卒業後に料理人になる決意を固めた。そこで、親戚のつてをたどって京都の有名料亭で修行をすることになった。その準備のために、尼寺で住み込みで働くことが決まったのだが、ここで出川は苦悩を抱えていた。
京都の寺で還暦を過ぎた尼僧と2人きりの禁欲生活。遊ぶ時間もなければ話し相手もいない。唯一の楽しみは、月に一度の休みに街へ出て映画を見に行くことだった。京都の映画村で撮影の様子を見学したり、映画館に通ったりしているうちに、好きなことに打ち込んでいる人たちがまぶしく見えてきた。自分が本当にやりたいことは何なんだろうか、と改めて考え始めた。そこで彼の頭に浮かんだのが「役者になる」という夢だった。
親には泣いて頭を下げ、横浜放送映画専門学院(現・日本映画学校)の演劇科に入学した。ここで同期生として知り合ったのがウッチャンナンチャンの2人である。
この時点では、出川と南原清隆は俳優を目指しており、内村光良は映画監督になるのが夢だった。3人の中に芸人志望者は1人もいなかった。専門学校の授業で漫才コンビを組んだのがウンナンがお笑いを始めたきっかけである。
出川は、人柄が良く人望もあったため、同期の中ではリーダー的な存在だった。1987年、出川の呼びかけにより、内村や南原を含む同期生数人で『劇団SHA.LA.LA』が結成された。出川は座長として劇団を取り仕切り、スケジュール管理などの事務もこなしていた。
この頃からウッチャンナンチャンがお笑いコンビとして急速に頭角を現し始めた。『笑いの殿堂』『夢で逢えたら』などの深夜番組に出演して人気を獲得。次世代芸人の代表的な存在になっていった。
出川はこのウンナンの爆発的な人気に便乗することにした。この頃、彼はすでに映画『男はつらいよ』にも出演していて、役者として活動を始めていたのだが、自分の名前を売るためにはバラエティ番組に出るのも悪くない、と考えた。ウンナンの番組で体を張ったロケ企画などにも積極的に挑戦するようになった。
そんな出川の人生を変えた番組が『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』だった。たけし軍団をはじめとする芸人たちが入り乱れて、体を張った大がかりなロケに挑む伝説のバラエティ番組である。出川は並々ならぬ気合いでこの番組に臨んでいた。ここで出川のリアクション芸人としての才能が開花した。たけし軍団、ダチョウ倶楽部、松村邦洋といった猛者たちに負けないくらいの活躍をして、たけしにも気に入られた。出川が、当時まだ無名だったナインティナインの岡村隆史とムチで叩き合った企画などはいまやお笑いファンの間で語り草になっている。
また、出川が初優勝を遂げた回では、車のボンネットに張り付けになったまま、ウィニングランを敢行。車はバスに突っ込んでいき、その後でバスは大爆破。さらに、出川の乗っていた車も彼が降りてから数十秒後に爆発してしまった。まさに命がけの番組だったのだ。
スタジオに初出演した際には、女優の斉藤慶子に「お前、俺に惚れるなよ」と上から目線でコメントをしたところ、これが大ウケ。たけしに話を振られた出川は「タケちゃん、これからもよろしくな」とあえて生意気な口を利いてみせた。ここでたけし軍団など周囲の芸人が一斉に出川を囲み、容赦なく制裁を加えた。この荒々しい歓迎に、出川はようやく自分が芸人として認めてもらえたと思い、感極まって涙をこぼしそうになったという。
この番組で、一瞬の笑いのために命を懸ける芸人たちの背中を見て、出川はお笑いという仕事の偉大さを知った。そして、自分自身も本格的に芸人としての道を歩むことにした。
リアクション芸は孤独な道である。汗をかき、鼻水をたらし、体にムチ打ってどんなにがんばっても、その努力自体はなかなか世間には伝わらない。ヨゴレ役を引き受けるにはそれなりの覚悟が要る。世の女性から嫌われても、出川は決してキャラを崩さなかった。イメージを守るために、40歳になるまでは結婚しないと自分の中で密かに縛りを作った。それが原因で、当時交際中だった彼女に振られたこともあったほどだ。
それでも彼は生き方を変えようとはしなかった。「抱かれたくない男」と世間に罵られながらも、出川は頑なにその芸風を貫いた。コツコツと一つの道を突き進んできた出川が、ようやく日の当たる場所で評価されるようになってきた。リアクション芸人として白い目で見られても、うまくトークができなくて芸人たちにイジられても、一途に続けてきた芸がようやく認められたのだ。
出川の大ブレークは昨日今日に始まったことではない。長年にわたってスタッフや視聴者の信頼を積み上げてきた結果、その努力が実を結んだだけなのだ。